人を信じることとは?
今回お話する内容は約1年前の芦田愛菜さんの発言に
関することなのですが本日も人を信じることについて
考察する機会があったのでここに記させて頂きます。
「信じるってどういうこと
だと思いますか?」
という問に対する芦田愛菜さんの
発言が話題になっていました。
「その人のことを信じようと思います。
ということをよく言いますが
その人自身を信じているのではなく
自分が理想とするその人の人物像に
期待してしまっていることなのかなと思う。
だからこそ人は裏切られたとか
期待していたのにとか言うけれど
その人が裏切ったとかそういうことではなくて
その人の見えない部分が見えただけであって
そういう部分が見えた時にそれも
その人なんだと受け止められる
揺るがない自分がいるっていうのが
人を信じることだと思った。」
要約するとこのような感じになります。
この発言は大変好評を得ています。
信じる根拠がない場合
その考えが当て嵌るのは限定的な場合のみだ
と思います。例えば清純派アイドルのファンが
あの子は恋愛なんてしていない!
と信じているとします。
このような場合は信じることの根拠がなく
芦田愛菜さんのいうようにまさに
「自分の理想像に期待している。」ことになります。
信じるに至る経緯
なんの根拠もなく人を信じることって
実生活の中では稀な事なのではないでしょうか?
通常はその人と付き合っていく中で
相手のいくつかの言動によって
徐々に信じていくことになると思います。
信じた相手はこれまでにこちらに伝えたいくつかの
言動を実現させるため、もしくは違えることが
ないように当然に努力してくれるものと考えます。
このように信じることにある程度の根拠がある場合
その言動と真逆な選択をされた場合は
裏切られたということになるのではないでしょうか?
裏切られることが多くあった過去
私はこれまで何度も裏切られてきました。
もう二度と人を信用しない!
そのように生きようと考えたくなる
時が何度もありました。しかし・・・
人を信用しないで生きていく
人生って物凄く哀しいだろう
と想像します。
そんな哀しい人生を生きるくらいなら
裏切られてもいいから人を信じる
ことを前提として生きていこう
と考え生きています。
そのようなことを考えてから裏切られても
凹んだりすることはなくなりました。
またか・・・。
程度です。
裏切られるのは私自身の不徳の致すところ
でもあると承知していますがそれでも
自分で吐いた唾は飲まないでほしいものです。
人を裏切ることを平気でできる人間に
明るい未来はやって来ないでしょう。
これからも何度も裏切られるだろうと覚悟しています。
それでも私は信じたいと思います。
※裏切った人はもう二度と信じませんが
最近、残念な出来事がありましたが
私自身はこれまで通り裏切られた!
と相手に思わすような言動は決して
しないようにと改めて心に固く
決意した今日この頃であります。
本日は以上です。
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